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インタビュー「私とメンター」
Vol.4
(インタビュアー:アキレス美知子 ワーキングウーマン・パワーアップ会議 推進委員)
会社の枠を超えた仕事のライバルが相談相手となった
石塚 邦雄 且O越伊勢丹ホールディングス 代表取締役会長執行役員
「ワーキングウーマン・パワーアップ会議」(事務局:日本生産性本部)では、働く女性のパワーアップを応援する活動を推進する中で、メンターによるサポートが重要であることから「メンター・アワード」を実施しています。第4回は、三越伊勢丹ホールディングス代表取締役会長執行役員石塚邦雄氏に、ご自身の経験から「メンター」と女性の活躍への期待について伺いました。(インタビュアー:アキレス美知子 ワーキングウーマン・パワーアップ会議 推進委員)
ライバルでも相談できる関係になったのは人間的な信頼感があったからこそ
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石塚邦雄(いしづか くにお) 1972年に東京大学卒業後、三越入社。業務本部業務部ゼネラルマネージャー、営業本部業務推進部長、執行役員を経て、2005年に代表取締役執行役員に就任。2008年三越伊勢丹ホールディングス代表取締役社長執行役員兼最高執行責任者(COO)、2012年代表取締役会長執行役員に就任し現在に至る。 |
石塚 そうですね。経営者は愚痴をこぼすということができないし、悩みも、経営の先輩には多少言うこともありましたが、メンターといえるかどうか難しいですね。
ひとりメンター的な役割をしていただいたと思うのは、今は亡くなられていますが、統合の時にパートナーであった武藤信一さんです。伊勢丹の社長をされていた武藤さんに、三越と統合するだいぶ前に会って話をしたんです。その時に、実は高校の先輩・後輩ということが分かって、だんだん同業の社長という枠を越えて、いろいろなことを相談するようになりました。
あるとき、武藤さんから、「百貨店の将来に対して、あなたはどういうふうに考えるか」と聞かれました。僕は「百貨店は厳しいけれども、こういう百貨店を目指したい」ということを言ったら、「それは同じだ」と言われました。「お互いに今の規模では百貨店の中では勝ち残っていくことはできないと思う」というようなところで、統合の話が始まったんですね。
その中で、いろいろなことを相談していましたが、いつの間にかというか、統合したら、今度は上司になってしまったわけですよ。最初は「石塚さん」という呼び方だった。途中で「石塚君」。最後は「石塚」ですね。
アキレス だんだん距離が縮まったということでしょうか。
石塚 縮まったのと、上司になってしまった。最初は全くよその会社の人でしたが、その時から、すでにメンター的な要素があったと思いますね。
アキレス 高校の先輩だったことは影響しましたか。
石塚 それは大きいと思いますね。というのは、それまで付き合いがあったわけではないんです。社長になって挨拶に行った時に、自分が高校の後輩だというと、「じゃあ、社長就任のお祝いをやってあげよう」といわれ、その後いろいろな付き合いができてきましたが、その過程の中で、いろいろと相談するようになったんです。
今でも覚えていますが、ある夏の日に、店頭でサマーピローというものが展示されていて、これいいなと買おうとしたら、在庫がないと言われたんですよ。展示をしているのになぜないのかと聞くと、これはうちの恥をさらすようで嫌なんですけれど、棚卸しが近くて在庫を制限していると言うんですね。僕は、ふざけるなと言ったんです。棚卸しとお客さまのニーズのどっちが大事なんだと。
アキレス それは、あくまでお店の都合ですものね。
石塚 そう。それで武藤さんに「いや実はこんなことがあった」と。武藤さんは、伊勢丹の売り場を調べて翌日に連絡をくれて、「うちの会社はたくさんあったよ。売れ筋なんだ」と。その時に武藤さんが言ったのが、「売れ筋が店頭になくて、かつその理由が社内事情だと言うのは、会社の存続に関わるぞ」ということでした。僕が相手だから言うといってくれました。
これはひとつの事例ですが、武藤さんはそういう視点で話をしてくれた。だから、自分が変えたいとか、何とかしたいと思っていることをいろいろと相談したんです。
アキレス 百貨店同士という意味では、競っている関係だと思うのですが、相談に乗っていただけたのは、個人的な武藤さまと石塚会長の個人としての関係があったからということですか。
石塚 そう。ライバルだけれども、相談する、教えていただく関係になっていたんです。やはり、そういう人間的な信頼感というものができたところに、この統合があったと思うんですよね。
風土が違うからこそ、良いところを吸収し、ぶつかり合い、良くしていける
アキレス この統合に、世間は非常に驚いたと思いますが。石塚 よく会社の風土が全然違うといわれましたが、武藤さんとは「風土が違うからいいんだ」と話し合いました。同じような会社だったら、規模が大きくなるだけだと。お互いに良い所を吸収しあったり、ぶつかり合って、それを昇華させて良くしていかないと、会社の成長はないわけです。
ところが統合して2年たって、武藤さんが亡くなってしまったわけです。それは自分にとっては非常に不運だったと思うんですが、これは逆に考えると、武藤さんが元気なうちに統合の話ができて良かったとも言えます。
アキレス お話を伺っていますと、出身高校のご縁もあったり、武藤さまとの出会いは本当に運命的ですね。
石塚 そうなんです。武藤さんは業界では極めて著名な方だったんですが、実は高校の後輩だというようなところから入っていって、段々とお話を伺うようになったんです。
アキレス 普通は、いくら後輩でも、やはり手の内を見せたくないと思うのではないでしょうか。
石塚 それが、武藤さんは違っていた。僕が社長になったのは2005年ですが、その当時、百貨店の将来は決して明るいと言えなかった。人口が減っていき、競争は厳しくなっていく。そういう中で武藤さんは百貨店業界全体を考えられていたと思うんですよね。そういったことで、いろいろなアドバイスをくれました。
アキレス 一段上の視座をもって、個々の百貨店を超えて、業界全体を盛り上げるためにはどうするかということなんですね。
石塚 武藤さんも、最後は経営者だから自分の会社の生き残りを考える。それで自分の会社だけでは無理だからということで、統合の話が出てきたわけです。ただ、例えば製薬会社だと研究開発費が莫大ですから、研究の合理化をして成果を共有できるということは、大きなメリットがあるでしょう。でも百貨店は、お客さまへ1円1銭を売った積み上げですから、一緒になったとしても、簡単に効果が出ないということがあり得るわけです。本社部門の効率化では微々たるものですからね。だから統合効果をどうやって上げていくかを中期、長期的に考えた上で、やっていかなければいけないと思いました。
アキレス なるほど。先ほど、統合の過程で異なった社風、違いを生かしていくといったお話がありましたが、武藤さまも同じお考えでしたか。
石塚 それはひょっとしたら僕のほうが強かったかもしれない。というのは、僕は、「内向き、上向き、指示待ち」といった三越の社風が一番の問題だと思っていた。だから、それを変えない限り駄目だと思っていたんですが、なかなか変わらなかった。これは自分の力不足もあるけれど、そういう中で、統合ということが出てきたと思いますね。だから社風と社風のぶつかり合いがなければ、統合なんかなかったと思いますよ。
アキレス 社風を変えると口で言うのは簡単ですが、無意識に身に付いたものを変えるのは大仕事ですね。
石塚 そうですね。仕事の仕方を変えなければいけないということで、現場には非常に負荷があったと思います。これは経営の責任としては、申し訳ないけれども、将来に向かっていくためには必要なことなんだということでやりました。